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米沢牛の歴史

米沢牛の歴史

米沢牛の恩人 チャールス・ヘンリー・ダラス (1841〜1894)
チャールス・ヘンリー・ダラス氏

 上杉鷹山は藩校を開校し、その名を「興譲館」とした。

 その興譲館で、明治四年から八年までの間教鞭を執ったチャールス・ヘンリー・ダラス氏が、故郷を懐かしんで四つ足の動物は食べないとされた米沢の地で、牛肉を食べたのが食用としての米沢牛のはじまりである。

 その味わいにいたく感動したダラス氏は、任期を終え、米沢をはなれる際に一頭の牛を横浜へ連れていった。

 彼の友人たちは、その牛肉の旨さを口々にほめそやし、それがいつからか「米沢牛」が全国に広がるきっかけとなった。

上杉鷹山公

上杉鷹山公肖像画

「成せばなる」

 そう言いたげに、空を指し示すようにも見える像の姿は、まるで鷹山の生き様が表現されているようだ。
(写真右:松ヶ岬公園内の上杉鷹山公の像)


生涯を学問とし、十七歳で米澤藩主となってから、藩の繁栄と民のために尽力した上杉鷹山の残した精神は、百余年たった今でもはっきりと、息づいている。
成せばなる、成さねばならぬなにごとも。成らぬはひとの成さぬなりけり
上杉鷹山公の像写真